Bar Hotel California.

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大瀧詠一。

1981年。

僕が高校1年から2年になる年だ。

この頃はサッカー漬けの毎日だったが、ラジオもテレビも音楽番組が充実していた時代だったので、音楽は良く聴いていたなあ。

 

シングルでいえば寺尾聰の「ルビーの指輪」、松山千春の「長い夜」、雅夢の「愛はかげろう」、堀江淳の「メモリーグラス」らが流行った年だ。懐かしい。

 

アルバムでいえば松山千春「時代をこえて」、オフコース「We are」、中島みゆき「臨月」、サザンオールスターズステレオ太陽族」、高中正義「虹伝説」などなど。この頃はレコードの売上数も素晴らしく、年間チャート12位までが50万枚を超えていた。

 

そして、大瀧詠一、である。

この年にリリースされたアルバム「A LONG VACATION」は年間71万枚を売り上げ堂々の第2位だった(因みに1位は寺尾聰

当時の僕にとっては大瀧詠一の名は初めて聞く名だったが、ラジオから流れてくるそのメロディがあまりにも素敵だったので、何のバイオグラフィ的情報がなかったにもかかわらずいきなりアルバムを買ってしまったくらいだ(当時は小遣いも少なかったからレコードを買うときには時間をかけて吟味に吟味をして迷って迷ってから買っていたから)

僕はそれまで、日本のフォークと洋楽のハードロックを好んで聴いていたが、前年の1980年に山下達郎が「RIDE ON TIME」をリリースした辺りからどちらかというと日本人の音楽は「フォークからロック&ポップスへ」という感じになってきていたから、余計に大瀧さんの作風は僕に響いたのかも知れない。

 

時代はこの頃から達郎やサザン、ユーミンをセンターに押し上げてゆく。

 

ここでは多くは語れないが、僕にとって大瀧さんは「日本人のロックって素敵だなあ、メロディが美しいロックって素晴らしいなあ」と最初に思わせてくれた人。

そして、海や山に行くときは必ずカーステレオで聴いていました。

初めてハワイに行った時に現地で聴いていたのは、山下達郎大瀧詠一でした。

 

つまり、僕の青春の一部でした。

 

大瀧さん、ありがとう。

 

これからも、聴かせていただきます。