「Bar HOTEL CALIFORNIA」って?
今から書くことは自分にとってなかなか恥ずかしいことなんですが、このブログは赤面甚だしい事を書いていこうと決めたので(笑)勇気を出して記してゆこうと思います!
「Bar HOTEL CALIFORNIA」ってバーかよ?ホテルかよ?
っていうか、何?
1976年に発表されたイーグルスの名盤をご存知ない方は全くピンとこないよね。
話は今から38年前に遡ります。
僕は小学校5年の頃に同級生・柳川くんのお姉さん(美人)の勧めでTHE BEATLESに出会い、そして当時よく聴いていたラジオでQUEENやAEROSMITHやKISSに出会い、洋楽に染まっていった。多分、音楽の趣味で言えば、ちょっと生意気なガキだった。
余談だがピンクレディーも好きだった。
で、翌年の1976年、僕が小学6年生の時に初めて自分の小遣いで買ったLPが、
Hotel California / The Eagles
まだまだそうは言っても子供だった僕にとって、それこそインターネットもケータイもない時代にラジオから流れてくる憧れの西海岸サウンドはそれはそれは甘美で隠微でアダルトで憧れだった。それまで聴いていたビートルズやハードロックとは違う、少し大人のサウンド、世界観。写真でしか見たことのないL.Aの椰子の木、底抜けに青い空、ブロンドの長髪、色鮮やかな町並み。
イーグルスは僕にとって、その象徴のど真ん中だった。そしてそのイーグルスが西海岸の(アメリカの)栄枯盛衰・現代社会への皮肉を模して作ったアルバムが「HOTEL CALIFORNIA」だった。
恐らく僕はまさにレコードが磨り減るほど、毎日毎日一番よくこのアルバムを聴いていた。多分2番めはTHE BEATLESの「LET IT BE」。余談だがピンクレディーは「ウォンテッド」が一番好きだった。
時は流れて2004年、僕が30代最後の年。音楽業界で日々バタバタ仕事をしていたが、急遽4日間の連休ができた。
折角の連休。僕はどうしようか考えた挙句、ある理由でL.Aに行くことにした。
L.Aにはそれまでに3度ほど行っていた。しかし考えてみたら小学生の頃に憧れだったイーグルスの「Hotel California」のジャケットで有名なビバリーヒルズホテルに行ったことない事を思い出し「絶対行くぞー!」となぜか急にテンションが上がって(笑)翌日には航空券を手配し、しかし宿は決めないまま一人でL.Aに飛んだ。
数日後、リュックサック1個背負ってロサンゼルス国際空港に着くやいなや、僕はビバリーヒルズホテルに向かうためにタクシーに乗る。
そのタクシーの運転手に「高いホテルに泊まるね」と言われたので「見に行くだけだよ」と言ったら「そうだね、もっとモダンなホテルが沢山あるから同じお金を出すならそっちに泊まった方がいい」と言われた。
そう、もうL.Aに於いてビバリーヒルズホテルは「過去のホテル」という存在になっていた。
30分くらい走っただろうか、サンタモニカブールバード沿い、ハリウッドの中心街から少々離れたそのホテルは重厚でしかしながら昔は華やかだったんだろうなあという面持ちで存在していた。鬱蒼と茂る木々の少々奥にロータリーがあり、ホテル玄関の前でタクシーは止まった。
でも、その景観はなぜか不思議なことに僕が昔、写真で見た時から30年近く経っているのに、全く何も変わっていないように見えた。
時が止まっているのか、僕が変わっていないのか。
どっちも正しくて、どっちも間違っているんだと思う。
でもね、あの時の気分はなんて言いうんだろう、スゲー気持ちよかったんだよなー。居心地が良かったんだよなー。
それから僕は暫くその場からホテルを、中庭の椰子の木を、眺めていました。
そして2013年現在。
いまだ僕は未婚。子供もいない。自宅は賃貸マンション。埼玉の実家は母と妹が住んでいて継ぐつもりはない。
とんだジプシー野郎だ。
だからかなあ、自分が作った店は、我儘に自分の「HOME」にしたいと思っている。
そして、その店が、そこに訪れる人にとって居心地が良くてちょっと懐かしい気分になれる「HOME」になってくれることを切に祈り、そんな名前の店にしたいなーなんて考えている。
だから「Bar Hotel Califonia」が今のところの第一候補。
略す時は「ホテカル」「ホテカリ」で。
なんか「ホテトル」っぽくてチャーミングだね(笑)
まあ店が出来た時には必ず「なんでこんな名前なの?」って聞かれるだろうから先に言っておきますねーって話でした。
あー、恥かしい(笑)
因みに「Bar ピンクレディー」はガールズバーっぽいからダメですよね(笑)